飯能市岩沢の眼科。
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震災支援への取り組み

被災地域の視覚障害者に対する巡回支援に参加して

横浜市立大眼科 神経網膜クリニック
(神奈川ロービジョンネットワーク会員)
壷内 鉄郎

昨年の10月末、震災被災地で暮らす視覚障害者に対し、戸別訪問による要望の聞き取りと、視覚障害者用補装具の紹介・申請補助を行うボランティアに参加した。普段南関東に暮らし、ロービジョンケアの仕事にも関わっている者として、何らかの形で被災地支援を行いたいと思っていたが、今回日本盲人福祉委員会という団体が巡回支援に参加する医療関係者を募集していることを知り、参加させていただくことにした。支援に当たっては、被災者に提供する無償眼鏡や医療資源の情報提供など、宮城県眼科医会の方々に多大なご協力をいただいた他、日本盲導犬協会仙台訓練センター、アイサポート仙台、タートル、(株)トラストメディカルなど地元で視覚障害者福祉に関わっている方々のご支援もいただいた。この場を借りて謝意を表したいと思う。

日本視覚障害者団体連合、日本盲人社会福祉施設協議会、全国盲学校長会の三団体および盲導犬協会などの協力団体から構成される日本盲人福祉委員会は、地震の直後から被災した視覚障害者の状況確認に奔走した。各団体の名簿をすりあわせ、これをもとに直接電話連絡を取り始め、つながらない場合は現地確認、現地が被災している場合は避難所を回って安否確認を行った。連絡が取れた方には要望の聞き取りを行い(第一次調査)、支援物資の発送を行ったが、震災後の生活が避難所から仮設住宅などに移っていく中、要望に変化が見られるようになった。このため、9月から2ヶ月かけて実際に被災地の住居を訪問し、個別面談を行うことになった(第二次調査)。誰からも気付かれず、絶望的状況に置かれている人たちを見つけ出すことも今回の目的であったが、県外避難した人が多く調査が困難な福島県は今回の対象から除外した。残る宮城県、岩手県の被災地域に居住し連絡の取れた視覚障害者計424名に対し、協議会の呼びかけに賛同し参加した、障害者福祉関係者、歩行訓練士、盲導犬協会関係者、それに一部医療関係者等が一週間単位でグループを組み、2-3名一組で各家庭を訪問した。訪問先では、困っていることや新たな要望の聞き取り、配布済みの支援グッズ(白杖(はくじょう)、ラジオ、音声時計、点字器など)の確認・使用法の説明などの他、拡大読書器を実際に持ち込み、試用してもらった上で、希望があれば役場への申請の手助けをした。通常は自己負担1割だが、今回は自己負担分も協議会が負担し、本人負担実質ゼロになるよう補助を行った。役所への申請書類は事前にこちらで準備し、書類の記載をその場でしてもらい、書けない人には代書も行った上で、こちらで預かり代行申請した。

奇跡の一本松
写真1:奇跡の一本松

私が参加したグループは10月の最終週に巡回した。日本盲導犬協会神奈川訓練センターの安山周平さん、広島市視覚障害者福祉協会の馬屋原武さん、それに広島県東広島市西条の歩行訓練士・花木瑞美さんと私の4名で、そのうち2名ずつが交代でペアを組み、手分けして巡回を行った。10月23日(日曜日)午後一ノ関駅で集合、ベースキャンプとなる南三陸町歌津のニュー泊崎荘(写真2)に入り、ここを起点に二組に分かれ、南三陸、気仙沼、陸前高田、石巻、女川方面へ巡回した。道路事情がまだ悪い場所が多く現地入りするのに一時間以上、さらに聞き取りに要する時間も一時間以上かかる場合が多く、なるべく近いところを続けて行かれるよう工夫しても、一組が回れるのは一日せいぜい4軒で、5日間で訪問できたのは私に関して言えば延べ16軒だったが、それでも行く先々で感謝され、それなりの成果を得ることができた。また私自身、現地でさまざまなドラマを聞き、人生観が変わるほどの感動を得た。簡単にこの一週間を振り返ってみる。

南三陸町歌津のニュー泊崎荘
写真2:南三陸町歌津のニュー泊崎荘

初日(24日)はまず市役所回りで、申請書類(写真3)を手に入れた。気仙沼市役所には、今日来たばかりという東京都目黒区の応援職員が数名おり、慣れない土地での職務に不安を感じているようだった。一方陸前高田市役所はプレハブ庁舎だが、対応した地元職員は大変明るく親切で、困難な状況下頑張っているという感じだった。それからいよいよ現地訪問、最初は陸前高田市内の老婦人(ぶどう膜炎と続発緑内障、身障者1級)を訪ねた。これまでロービジョン外来で視覚障害者の対応をするのは慣れているはずだが、現地訪問は初めて、ましてや相手は被災者ということで、どう切り出していこうかあれこれ思い巡らしながら、ぶっつけ本番の覚悟で訪問宅の敷居を跨(また)いだ。遠路はるばる有り難うございますという感謝の言葉で迎えられ、早速これまでの病歴聴取と支援状況の確認から始まったが、マニュアルのない訪問支援で相手の話を聞きながら、いかに相手に「来てもらって良かった」と思ってもらえることができるか考え、話を組み立てていった。現在何が困っているか、正確な医療情報を持っているか等を探っていきながら、最後は拡大読書器などの視覚障害者用補装具の話に持って行き、興味を示したら現物を車から持ってきてデモするという、ほとんど飛び込み営業マンのようなことをやったが、結局聴取は1時間におよび、拡大読書器の申請書類を書いて、一件目の訪問は無事終わった。ここは市街からは数キロ上流で厳密には被災地ではないが、ご主人は晴眼者であるものの聴覚障害者、ご本人は視覚障害者で、若い人もほとんど訪ねてこず、震災後は町の方へも行っていないとのこと、震災後の状況を考えればある意味地震により取り残された障害者老夫婦ともいえる。

申請書類
写真3:申請書類

昼は津波をかぶった気仙川左岸の仮設弁当屋で温かい弁当を購入。
トレーラー(写真4)の中に調理機器と販売スペースが設(しつら)えられていて、チンジャオロース弁当を買ったが、これが意外においしかった。少し休憩の後、午後は2軒回り、帰路についた。

トレーラー
写真4:トレーラー

翌日は気仙沼市内で、最初は家族と自宅を失った70代の男性を訪問した。網膜色素変性で身障者一級、高台の娘さんの家で現在暮らしており、据え置き型をデモしたところ、あきらめていた読書を再開できると大喜びされた。最後は娘さんに見送られて家を後にしたが、これほど喜ばれ感謝されたのは初めてで、われわれも深い達成感があった。
午前中もう一件訪問の後、午後は避難所にいる60代の女性を訪問した。複雑な生い立ちで、1歳で麻疹による視力障害(身障者一級)、進学を断念後整体の技術を身につけそれで生計を立て、結婚するもDV離婚、自宅を建てたところ津波、同居していた娘も県外へと、大変な人生を送って来たが、自宅が津波を被るも奇跡的に流出を逃れ、「神のご加護」と話していた(写真5)。携帯型拡大読書器とルーペを希望され、案内された自宅の二階で書類を書いたが、こんな事もあるのかと私はしばし外の景色を眺めていた。聴取は3時間におよび、次の訪問先についたのは5時を回っていた。

気仙沼市内
写真5:気仙沼市内

3日目も最初は気仙沼市内で、70代の女性。右目は白内障術後角膜炎で、角膜移植するも光覚弁、左目は網膜剥離術後再剥離により光覚なしで、眼球保護の目的でフレームの大きな眼鏡を渡した。この方、チリ地震津波では九死に一生、もう津波は来ないと思っていたら今回の地震で家が流失したが、同居している息子さんが地震当日午前に足を骨折し、保険証を病院まで届けてほしいとの電話を受けてご主人と二人で病院へ行ったところ地震と津波が襲来したそうで、目の方は残念な結果だったがある意味運の強い人なのかもしれない。
この日はもう一軒訪ねた後、女川町役場へ書類を取りに向かったが、途中通った志津川、新北上大橋、雄勝、女川港など、言葉にならない光景ばかりだった。ただ、この絶望的な状況下でも、若い人たちの力強いメッセージに、私自身も力づけられる気がした(写真6)。

メッセージ
写真6:メッセージ

4日目は最初南三陸町歌津。土地のことは何でも知っているという古老だが(老人性黄斑変性による視力低下)、明治三陸大津波でも大丈夫だったという自宅にいたところ近所の人に避難所に連れて行かれ、おかげで命拾いしたとのこと。避難所暮らしとなり(現在は仮設に入居)、環境の変化に戸惑ったこと(誰が訪ねてきたか声を聞かないと分からない)などを話されていた。
次は気仙沼市内の80代女性。高潔な方で、最初興味を示していた拡大読書器が無償であることを告げた途端、「申し訳ないので受け取れません」と拒絶された。被災地でもこのような方がいらっしゃるのかとちょっと感動した。帰り際「120歳まで生きてください」と話しかけたら、笑っていた。

午後は気仙沼市唐桑(写真7)。70歳代の女性で、右目は生来の「弱視」で指数弁、左目は網膜剥離放置で手動弁。この方には拡大読書器の申請介助を行ったが、家族に名刺を所望されたため渡したものの、どうもニセボランティアを疑っていた節もあり、被災者も安閑としていられないご時世のようである。
この日最後は石巻。80代の女性で(視力右0.03、左0.01)。旧北上川近くの家で一人暮らしだったが、ヘルパーさんに連れられ避難所へ向かい、その後自宅は流出。避難所暮らし3日目で息子さんに探し出され涙の再会、その後息子さん一家と同居することになったとのこと。インテリの高い方で、もう字を読むことはないと最初は消極的だったものの、携帯型拡大読書器で少し読める事に気付き申請。少しやる気を取り戻した感じで、ここまで来たかいがあったという感じだった。

気仙沼市唐桑
写真7:気仙沼市唐桑

最終日は3軒で、二軒目の網膜色素変性症の女性は据え置き型で6年ぶりに字が読めたと喜んでいた。これですべての予定を終了し、集合場所の一ノ関に帰還。この夜は仙台に移動し、今回の支援をサポートしてくれたメンバーの方々と一緒に飲む機会にも恵まれ、一週間の巡回支援を無事終えることができた。

多くの収穫を得た今回の巡回支援だが、いくつか気がついた点を以下に述べたいと思う。

  • 視覚障害者用補装具のことを知っている視覚障害者が非常に少ない。音声時計はほとんど知られていないし、拡大読書器など、見たことない人ばかり。カタログでしか見たことがないため、注文をするにもどれを選んでいいかわからないということで、今回訪問した家庭では、手にとって初めてわかったという人ばかりだった。もっと視覚障害者に対し、広く周知する必要性を感じた。
  • 音声時計などの支援グッズが各家庭に送られたものの、封を切らずにおかれたままの家庭も多い。視覚障害者を含む高齢者だけで暮らしている家に宅配便で届けても、説明する人がいなければ理解できるはずがない。支援物資の配送にも一工夫がいりそうである。
  • 医療事情はそれほど悪くないはずだが、震災以前より眼科のフォローを受けていない人がたくさんいる。行っても無駄だから行っていないと言う人もおり、まだまだ医療を受けるのに「敷居が高い」現実があるように感じる。
  • 身障者手帳の記載病名が、網膜色素変性症ばかりなど、地域によっては病名すら書かれておらず(「視力低下による視力障害」という意味不明な記載もある)、申請書類の病名や病状の記載欄への記入に苦労した。話の通じる老人であれば、病歴を聞くことでだいたい推測がつくのだが、聴取困難な人もいる。診察をしていない以上それ以上のことは書けないので、「ちゃんとした病名」が欲しいところである。
  • もっと皆「絶望的な」境遇にあるのかと思ったら、やはり半年たっているためか、いろいろな面で落ち着いてきている。たった1~2時間の聴取で、対象者の心の奥までわかるはずはないが、少なくとも日本盲人福祉委員会の担当者がいう「被災していながら誰からも見つけられず、絶望的な境遇に置かれている人たちを探し出す」という事は、今回の巡回に関する限りはなかったように思う。ただ、今回の調査から漏れた人たちの中に、委員会が懸念する様な状況に置かれている人がいる可能性があり、調査と支援の限界も感じた。
  • 私のように関東の人間から見ると、東北の人たちは家族の絆が強いように思う。津波で家を流されたり、避難所で何日かぶりに再開したりしたために、結束が強くなったのかもしれないが、今回訪問した人の中には、「孤独な老人」はあまりいなかったように思う。息子や娘の世代が、親の世代の面倒をちゃんと見ており、血のつながっていない義理の親族にも自然に接している感じがする。まだ大家族制の名残が、特に農村部では残っているのかもしれない。
  • さまざまなボランティアが現地に入っており、中にはうさんくさいのもあるが、それを受ける側は基本的に文句は言えない。ボランティアで「善意の押しつけ」をすることのないよう、受ける側への思いやりも必要かと思われる。

以上、一週間の巡回支援の内容を簡単に紹介させていただいた。初めての巡回支援で至らぬ点もあったと思うが、今回の経験を今後の支援やロービジョンエイドの現場に役立てていきたいと思う。また、今回の調査から外れた福島県(他県への避難者も含む)や、3次調査などの予定があれば、また参加したいと考えている。

最後に、今回の支援を私に紹介し、支援中も私を心理的にサポートしてくれた、国立障害者リハビリテーションセンター病院眼科の仲泊先生や西田先生、宮城県眼科医会の佐渡先生、陳先生に感謝致します。そしてこれだけの絶望的な状況下でも決して明るさを失わず、むしろわれわれをねぎらい元気づけてくれた多くの被災者の方々に、心より感謝の気持ちを述べたいと思います。本当にありがとうございました。

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